アントニオ猪木ベストバウト10
2022年10月1日アントニオ猪木没
2022年10月1日土曜日。
アントニオ猪木が死んだ。
これまで、僕は頭の中で、「アントニオ猪木のベストバウト」をあれこれ想像してきた。通勤電車の中や、家族が僕以外全員寝ている旅行帰りの車の中で。いまこそ、これまで想像してきた結果をアウトプットするべきだ。アントニオ猪木名勝負ベスト10だ。猪木の試合を10試合以上見ていないとあかん。自分はだいたいほとんどすべて映像経由です。だって自分のお金で観戦できるようになったときにはすでに参議院に当選していたし。
ちなに、本人による公認ベストバウトはある。インタビューで、ドリー・ファンク・ジュニアとのフルタイム戦をベストバウトに挙げている。あと、2017年に、室蘭でのジン・キニスキー戦をベストバウトに挙げたという情報も手に入れている。ただ日プロ時代のキニスキー戦というと、本人の意志はどうあれ、大阪の馬場vsキニスキーが筆頭に上がるし、たぶんキニスキー戦は馬場のほうが面白い。でっかい体でバンバン動く怪獣大活劇的な面白さは、馬場vsキニスキー戦がいちばんだ。というわけでいったん本人申告の名勝負&ベストバウトは、ドリー戦とします。
ドリー戦はいい試合だ。まだ見ていませんか?見たほうがいいですよ。どうやって見ていいかわからないですけれど。自分はたぶんVHSビデオをレンタルしてみています。
この試合l、いい試合だけれど、相手がドリーなんです。どっちかっていうと、猪木のベストバウトというより、ドリーのベストバウトのような気がする。
私としては、同じく猪木のフルタイム戦であるビル・ロビンソン戦をベストバウトとして挙げたい。
相手の違いと言ってしまってはそれまでだが、ドリーとロビンソンでは緊張感が異なる。二世レスラーで若くしてチャンピオンになったドリーに暗い部分は感じられない。一方でロビンソンからは、「蛇の穴出身」「ひねくれたイギリス人」というような、どこか影のある印象が感じられる。
実際の試合内容も、ロビンソン戦からは、主導権を握りたい猪木と、そうさせないロビンソンのせめぎあい、心理戦が感じられる。「お前の思い通りにはさせないぞ」というロビンソンの心の声が伝わってくる。ドリー戦を観て伝わってくるのは、ロビンソン戦とは違って、お互いの「俺のほうがうまくできる」というせめぎあいだ。
たぶん、試合後の納得感、充実感という点からすると、ドリー戦後の猪木のほうが、ロビンソン戦の猪木よりのほうが満たされていたはずだ。ロビンソン戦の猪木は、思い通りさせてもらえなかった、自分のやりたいことができなかったと感じているのではないか。本人が挙げるベストバウトに、ロビンソン戦ではなくドリー戦を挙げたのは、そんな心境があるのかもしれない。
ロビンソン戦については、たしか柳沢健が「1976年のアントニオ猪木」で詳らかにしている。とてもいいアプローチだ。ただ、主導権が取れなかった猪木に、レスリング・フリースタイル流の両足タックルの可能性を尋ねているが、若干後出しジャンケンな印象がある。間違っていたらごめんなさい。そもそも当時、両足タックルはプロレス技の選択肢たり得たのか?と思う。近年ではゴールドバーグやライノ、エッジが「スピアー」として使っていたけれど。近年といってもここ25年くらいが対象だけれど。
でもまあ、本人が「これがベスト」と言っているのだから、そこも汲んであげたい。アカデミー賞に作品賞や監督賞など、カテゴリごとに賞が用意されているように、幅広い活躍をしたアントニオ猪木のベストバウトだから、カテゴリごとに賞を設けたほうがいいのではないか。
アントニオ猪木ベストバウト本人賞 「vsドリー・ファンク・ジュニア」ということである。
カテゴリーに猪木を分類する
幅広い活躍をした猪木だから、ドリー戦やロビンソン戦だけでは物足りない。
それから、一口にベストバウトと言っても、試合内容重視なのかインパクト重視なのか、歴史的な意味合いがあるのかといった観点から考えると、さらに幅が広がってくる。
時期や所属団体で分ける考え方もあるだろう。ただしリング外での出来事は入れない。タイガー・ジェット・シンによる新宿伊勢丹事件とかは対象外だ。リング外と言っても、エプロンサイドにいる猪木をホーガンがアックス・ボンバーで吹っ飛ばすとかは対象内だ。試合中かどうかということです。
時期で分けるとどうなるか。そのためにはキャリア全体を振り返って見る必要がある。
ざっと分けると
に分かれるが、東京プロレス時代と90年代のサンプルが少なすぎるか。
フィニッシュホールで分けるという手もある。
- コブラツイスト時代
- ジャーマンスープレックス時代
- 卍固め時代
- 延髄斬り時代
- キラーチョーク時代
うまく分かれません。かつかぶっている。
武藤敬司や小橋健太なら、テーマ曲で分けることもできるが、猪木は「イノキ・ボンバイエ」またはNETスポーツテーマだ。
コスチュームは黄色か黒なので大雑把すぎる。ガウンはたぶん結構細かく変わっていると思うので、分類基準に採用するのは避けたい。
試合形式で分けるという手もある。
シングルマッチ、タッグマッチ、ネイルデスマッチ、ランバージャックデスマッチ、異種格闘技戦、エキシビションマッチという具合だ。
ただしこの場合、ネイルデスマッチが自動的に上田馬之助戦になるのと、エキシビションマッチがほぼ滝沢秀明戦で確定してしまう。
地域で分けるのはもっと難しい。東京都に集中するからだ。東京だけ開催施設別だったらいいかもしれない。蔵前、両国、東京ドーム、後楽園ホール、東京体育館、日大講堂とか。
ベストバウトノミネート
とりとめもなくなったので、ノミネート試合を挙げていきたい。思いつくまま挙げて、あとで整理したい。
まずアリ戦だ。試合内容はともかく、インパクトが大きい。これは入れなければいけないだろう。ちなみにアリ戦のポスターは石坂浩二が描いている。
次にストロング小林戦。初戦の、ジャーマンの足が浮いている方。大物日本人対決の元祖で、この試合をきっかけに東京スポーツが値上げをしたと聞いている。ストロング小林はこのとき、国際プロレスをやめたばかりで、東京スポーツ所属ということで、国際プロレスへの慰謝料を東スポが建て替えたが、その分値上げして結果的に利益を出したという話をどこかで読みました。
そして88年8月8日横浜文化体育館の藤波辰爾戦。あんな感じでハッピーエンドになった試合ってほかにない。テレビ朝日の演出も素晴らしかった。あと古舘伊知郎が特別に実況に復活した。
96年イッテンヨンのビッグバン・ベイダー戦。視聴者ほぼ100%が「猪木死んだ!」と思った投げっぱなしジャーマン。ニールセンやビデオリサーチが実際に調査を行ったら、同様の結果になったはずだ。さらにムーンサルトを受けて、それでも立ち上がる猪木は、それまで僕たちが応援していた「強くてかっこいい猪木」じゃなかったけれど、あきらめない大切さを教えてくれた試合だ。
あとは69年、日プロ時代のワールドリーグ初優勝のクリス・マルコフ戦。血染めの卍固めだ。猪木が馬場と並ぶトップスターだということが明白になった試合として入れておきたい。
このあたりから、さてどうしよう……と悩み始める。とりあえず列挙しよう。
- 「旗揚げ戦部門」のカール・ゴッチ戦
- 「血染めナックルパート部門」の大木金太郎戦
- 「折ったぞー」部門のアクラム・ペールワン戦
- 舌出し失神事件のハルク・ホーガン戦
- 極真会館とのピリピリ感がたまらないウイリー・ウイリアムス戦
- エキシビションとしては至高の滝沢秀明戦
- タイガー・ジェット・シンの腕折戦
- 「戦う前から負けること考えるやつがいるか!」「ダー!」の橋本蝶野戦
- 異種格闘技戦の中で一番面白いモンスターマン戦
- はぐれ国際軍団との1vs3
- 初の東京ドーム、柔道着噛みのショータ・チョチョシビリ戦
- 巌流島でのマサ斎藤戦
- オールスター戦のメイン
- 逆ラリアットでハンセンに勝った試合
- 上田馬之助とのネイルデスマッチ
- 猪木が負けた……?ローラン・ボック戦
- プロレス・オールスターウォーズでのジャンボ鶴田戦(漫画内の話)
- WWWFをとった(けどないことにされた)バックランド戦
- ドームの天龍源一郎戦
- 長州に初フォールを許した88年の札幌
- 「アキレス腱固めの方向が違う」の藤原戦
- 平壌でのリック・フレアー戦
- ドン・フライとの引退試合
ブロディ、ブッチャー相手は面白くない。シンの試合は腕折りとシンが反則せずにまじめにレスリングする試合とセットで、かつ猪木じゃなくてシンの試合って感じもする。つまり引き出してあげたってこと。アンドレ戦もアンドレの試合だからな。
ベストバウト10発表
ラインアップが出揃った。ここからはランキング。すべて私見による。試合内容、インパクト、歴史的価値、ぜんぶごちゃまぜです。それが猪木らしいと思います。
1位:ビル・ロビンソン戦
60分集中力が途切れない。かつリング上で見えていることだけでなく見えていないことまで伝わってくる。本人の納得いっていない感がなんなのかも見えてくるという、非常に濃密で緻密で長大、アントニオ猪木というレスラーの軸と輪郭が伝わってくる試合。
2位:アリ戦
仕掛けと経緯と裏話とその後アリと仲良くなったところとか、歴史的意味とか、総合格闘技の礎になったとか、石坂浩二のポスターとかを含めて全部トータルで評価。試合というというより歴史上の事件という言い方のほうが近い。
3位:藤波辰爾戦(88.8.8)
コメントはない。あの時点でのベストパフォーマンスだし、それまでベイダーデビューの国技館暴動とか、海賊男とか、闘魂INOKI LIVEでの残念な結果とか、前田との対決を避けてきたとか、そういうのを全部精算してくれた試合。膝つきアルゼンチン・バックブリーカーとか。ミサイルキック自爆とか。長州の肩車とか。古舘の実況とか。サザンオールスターズの「旅姿六人衆」とか。ぜんぶ抱きしめたい一戦である。
4位:ストロング小林戦
名勝負。一秒も無駄なところがないし。フィニッシュは最高だし。藤波戦と迷った。最初の、足が浮いているジャーマンのほう。
5位:ビッグバン・ベイダー戦(96年ドーム)
それまでと全然違う猪木像があったし、観ている人の心が一つになったし。これも猪木だよね、と言える試合。
6位:ハルク・ホーガン戦(第一回IWGP)
インパクト重視です。時間かけて作り上げてきて、ベルト返上して作ってきた世界観を最後の最後でぶっ壊す。しかも舌出し失神で。大陸別予選とかやったのに。藤波も長州も出られないのに。借金取りに追われていて、それから逃げるためだった説もありますが。それでも、とはいえ、やっぱり、インパクトという点ではこれではないかと思います。
7位:アクラム・ペールワン戦
猪木伝説を形作る要素として欠かせないのではないか。試合後に「俺にこんなことさせるな!」と言ったらしいので、本人はまったく本意ではなかったと思うけれど、そういうところにどう対応したかという点を考慮すると入れざるを得ない一戦。
8位:マサ斎藤戦(巌流島)
世代闘争の盛り上がりをリセットするため? あえて同世代のマサ斎藤と無観客で行って試合。見た目の画作りの素晴らしさと、120分以上やった死闘感とか。篝火による演出とか。
巌流島での戦い、最初は藤波と長州の決着戦というアイデアだったらしいけれど、ぜったい猪木と斎藤でやったほうがよかったと思う。巌流島にハイスパートは似合わない。「藤波をイライラしながら待つ長州」はちょっとだけ見たいけれど。
あと2つは悩む。まじで悩む。もしかしたらBI砲での初戴冠とか、グレート・アントニオ戦とか、黄色パンツ時代の俺の知らない試合とかが入ってきてもおかしくない。引退試合のドン・フライ戦も考えた。天龍戦でもいいのかもしれない。マスクド・スーパースター戦とか、タッグ戦でバッドニュース・アレンから延髄斬りでフォールを奪う試合とか、何気ない地方の6人タッグ戦でもいいかもしれない。
9位:ウイリー・ウイリアムス戦
個人的に一番古い猪木戦の記憶がこれ。背景とか対立構造とかは全く理解できないけれど、すごく緊張感のあることがこれから起こるんだということは認識できて、まさに手に汗握りながら見ていた記憶がある。後日見直した試合内容も面白い。
(ただリングスでのウイリーの試合は面白くない。思い出は残酷だ)
10位:ドリー・ファンクジュニア戦
選べないので、本人選出の一戦を入れました。内容的にはみっちみちで、プロレス的なクオリティはロビンソン戦より高いと思います。
ただ自分がアントニオ猪木から学んだことで重要なのは、「ジャンルを飛び越えること」「狭いカテゴリで満足しないこと」だと思っています。
そういう意味を含めて、かつ本人の意志を尊重すると、ドリー戦はこの位置なのかもしれないと思っています。
僕にとってのアントニオ猪木
たぶん、アントニオ猪木が好きな人が選べば、違うベスト10が出てくるでしょう。自分の場合はこうだった、ということです。
かっこよくて、でも人間臭くて、夢みたいなことばかり言って、その夢を現実に変えて、周りの人に迷惑をかけて、それ以上にたくさんの人を勇気づけて、プロレスはどうでもいいといっておきながらたぶんプロレスが好きで、新日本プロレスという組織/概念/場所を生み出して、坊主頭になったり坂口にリングアウトで負けたり、前田と戦わなかったり、国立競技場にスカイダイビングしたり、かっこ悪くて、やっぱりかっこよくて、ブロック・レスナーとスパーリングして「あの老人は誰だ?」と言われたり、ロープワークがちょっと独特だったり、かっこよくて、そもそもかっこよいという概念は、アントニオ猪木から逆算して生まれたものだとすら思います。
世間やジャイアント馬場や国会や難病に立ち向かっていくアントニオ猪木の姿を見て、僕は、僕らは勇気づけられ、生きてきたのではないでしょうか。かっこいいという基準も、かっこわるいという基準も、その両方の基準を踏まえた上で世界に対して働きかけて変化を起こして、そうやって自分の人生を前に進めることを、僕たちはアントニオ猪木から学びました。
ティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」という映画があります。僕が大好きな映画です。ティム・バートンは、UWFインターの旗揚げ戦で高田の相手に抜擢されたレスラーではなくて、「シザーハンズ」とか「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」とかの映画監督です。カルトっぽい作品が評価されています。ビッグ・フィッシュは、なかでも地味な作品で、有名ではありません。死期が迫った父親と、それまで父親とうまく行っていなかった息子との関係を描いた映画です。
ラストで、父親がふかしたホラが事実だということを裏付けるようなキャラクターが葬儀にやってきます。アントニオ猪木はホラ(ファンタジー)だけをふかしてきたわけではないですが、彼が発信してきた「ファンタジーとリアリティが織りなす物語」に魅了されてきた人の数は、とてつもなく多いと思います。
アントニオ猪木がいない世界を生きる
アントニオ猪木の葬儀には、誰がやってくるでしょうか。
長州も藤波も武藤も蝶野も前田も藤原も高田も来るでしょう。木村健悟も木戸修も来るでしょう。サイモンも永島も新間も来るでしょう。棚橋もオカダも鈴木秀明も来るでしょう。鈴木みのると中邑真輔はスケジュール次第でしょう。天龍、佐山は体調次第でしょう。
弔辞は誰が読むのでしょうか。藤波、長州、前田、天龍の弔辞は、字幕付きでお願いしたいです。
もめるなら弔辞はいっそ山崎一夫さんにお願いしたいです。猪木から最後にピンフォールをとった、という実績があるので。新日本プロレスの解説も長年勤めてきましたし。山ちゃんならだれも文句言わないよね。もしくは古舘伊知郎。ここはいったん山崎一夫さんと仮定して話を進めます。
山崎一夫が、でっかい魚を抱えて、そっと川に放します。川はアマゾン川かもしれませんし、鶴見川かもしれません。山ちゃんは川に浸かるかもしれないので、気を利かせた結果としてロングタイツ着用です。整体院を経営していることもあって、抱きかかえる手はとてもやさしく、魚はとても落ち着いています。川に放たれた魚は、こっちを振り向くような素振りを見せてから身を翻し、広い海に向かって泳いでいくはずです。
猪木が死んだ! 猪木バンザイ!
そのあと僕らがするべきことは、アントニオ猪木がいなくなった世界に慣れることです。もう「いち、に、さん、ダー!」と音頭を取ってくれる人はいません。国会に卍固めをかけてくれる人も、消費税に延髄斬りを放ってくれる人もいません。
国立競技場とマジソンスクエアガーデンとロサンゼルスオリンピックオーデトリアムと後楽園ホールと東京ドームとエル・トレオとカラチスタジアムと両国国技館と東京練馬南部球場の中心に立ったことがある人は、もう現れないでしょう。東京練馬南部球場が復活しない限り。
かっこいいという言葉を定義するのにアントニオ猪木が必要だという状況は、これからしばらく続くかもしれません。
アントニオ猪木よ永遠に。アントニオ猪木は永遠に。アントニオ猪木は僕の人生とともに。アントニオ猪木は僕の人生の一部でした、いや僕の人生はアントニオ猪木の一部だったのかもしれません。
これからは、その言葉を過去形で表現しなくてはならないのが、悲しくてたまりません。